CA受験ができることそれ自体が幸せなのに🌟

3月11日。

今年の3月11日を

過ごし、いろいろ考えることが

あったのですが、

なかなか言葉にするのが

難しく、本日になってしまいました。


実は、

私の1作目の出版が

決まったのが、

忘れもしない

東日本大震災と

同じ年の2月28日です。


震災と同年に

『たった4時間でTOEICテスト完全後略』

が出版されました。

出版が決まったのは、

人生の中でもCA内定に次ぐ

嬉しい出来事でしたが、

その後、震災で出版社さんも

ばたばたし、

拙著が出版される1週間前まで

自分の出版は「本当に出版されるのか?」

と思っていたほどでした。


出版が決まって

TOEICについて生徒さんに

聴き取りをしたり、

類書を全て研究して、

というのが、ちょうど

震災と震災後の様子でした。


担当編集者さんから

「出版社でも自宅待機となりました」

「連絡がなかった弟から心配して連絡がきた」

とメールをもらったりしていました。


☆☆

阪神大震災の経験者の

(しかし、家も半壊のみの、なよなよ被災者)

私ですから、


東日本大震災が起こったとき、

「これはとんでもないな」と

わかりました。阪神大震災経験者の

首都圏在住者は、あの揺れで全員わかったでしょう。


私は10階だったため、揺れが激しく、

家はすごいことになっていました。

食器棚の高価なグラスや陶器はほぼ全滅。

本だなの本全部が部屋に散乱ゴミ屋敷。


ただ、首都圏ですから

阪神大震災とは全くレベルが

違うので、動じる率ゼロ。

赤羽にいたのですが、川口まで帰るのに

徒歩で十分帰ることができて、

ダメージはゼロ。

(夫は新橋から埼玉県川口まで

7時間かけて徒歩で帰りました)


阪神大震災のときの

水道・ガス・電気全てストップ、

がれきの山。

を経験した後のこの首都圏での

地震は、全くなんともなかったです。


東日本大震災の被災者の方も

そうだと思うのですが、

私も阪神大震災の経験については

ほぼ語りません。

ここで語ることは、ほんの1%くらいのことです。

ダメージが大きすぎることは

語れないのだと思います。


なよなよ被災者なのに

こうですから、

本当にすごく深く被災してしまった方は

何も語らないと思います。

(原爆被災者が老齢になって

死ぬ間際まで語れないのと同じでしょう)


さて、

被災後、首都圏で私には

信じられないことがありました。

それは、

停電が何度か計画的に行われたとき、

その停電が辛くてダメージが大きく、

首都圏以外に一時的に疎開(?)した人が

多くいたり、


停電のとき非常につらかった、

という話を聞いたことです。


「計画的に停電を知らせてくれて

いつ電気が使えるかわかっているのに

なんでそんなダメージを受ける必要があるのだろう??」


都市部に住んで、便利な生活を享受し、

平和に暮らしているので

相当、ぼけているようにしか

思えませんでした。


しかし、こういうのって

相対的なものです。

CA試験でも、

今まで苦労したことがない人が

100倍以上の難関を突破するときに

力を出せないのと同じで、


便利で平和な生活を

してきた人が、計画停電を

辛いと思うのは、ある意味当然。


阪神大震災のときでも

東日本大震災でも、

そして、

今度のベルギーのテロも

そうですが、

今日ある平和や平穏が

明日も同様にある、

という保証は何もないです。


☆☆

CA試験自体は、倍率も高く

非常に難関で渦中にいるときは

苦しいものです。


しかし、実は「CA試験に邁進できる」

「CA試験に没頭できる」

あなたほど、幸せな人もいません。


被災者の方はもちろんですが、

世界の中には学校も行けない

自分の夢を達成するよりも今日のご飯を探すことが

最優先、という人はいる。

(世界の20%が世界の80%の富を

思うままにしている、という話は

世界が100人の村だったら、でも有名です)


私もカンボジアの学校を観に行ったときに

全く教育を受けることができない

子供を見て愕然としました。


バングラデシュに知人が学校に

寄付をしにいくのに同行したときも

「教育」を当たり前に受けている日本の若い人が

その教育をそまつにしていることに愕然ときました。

(日本にいる小学生は「ランドセルを抱いて寝る」なんて

もうしないでしょうが、そういうアジアの子供は

学校に行けるのが嬉しくて、日本から寄付された

ランドセルと抱いて寝るし、親も知人もランドセルを

見に来ます)。


あなたもそうだと思いますが、

震災に遭った方、

世界で夢を持つことさえできない方、

そういう方を

私たちは手助けすることさえできません。

寄付なんてしても、そういう世界を

劇的に変えることはできません。


じゃあ、何が結局できるのか?

と考えたとき、

きれいごとに聞こえるかも

知れませんが、


「震災で亡くなった方が生きたかったであろう、

今日、明日という時間に、そして、

夢さえ持つことができない子供に

祈りを捧げながら、自分の置かれた状況に

感謝し、自分の時間を精一杯生きること」


くらいしか

できないのではないだろうか、

と感じます。


もちろんビルゲイツや

U2くらいになれば

世界を変えることもできるかもしれないけど、

凡人の私は

せめて、精一杯自分の時間を

感謝しながら生きねばならないと、、


そういうことを

思いながら、

過ごした3月11日です。


☆☆

PS:「相対的」で驚いたのが、

阪神大震災で、かれこれ2ケ月も

お風呂に入れず、水道ガス電気が

全てとまっていた状態で、


何とか、実家に普段1時間以内で

行けるところを5時間かけて

行ったとき、

もう心神喪失状態でした。


実家に帰ると母が

「あんた、どしたん?そんな顔で~。」

と、落ち込んでいるかと思いきや

超明るい!!!


「あんた、こんなん、戦争の100分の1の

辛さやで」

と言われたときの衝撃・・・・。


そうだった・・。母は、

ジブリのほたるの墓でも有名な

神戸大空襲の被災者で、

死体が山づみのトンネルの中で

爆弾から逃げて一夜をすごしたり、

バッタを食べて戦後をすごしたり、

自分の頭の上に焼夷弾が乗ったのをはらったり、

したわけで・・。


阪神大震災で

「汚い水でも、汲みに行けば水はある」

「ひどい食べ物でも食べるものはある」

ので、全くダメージゼロ、だったのです。


これを思い出すたびに

「戦争ってどんなにひどいのだろう。

生きているうちに絶対経験したくない」

と切実に感じます。


瀬戸内寂聴さんが、

「今の世の中の雰囲気が

戦前に似ている」というのが

本当に怖い。

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